頭の中を整理するための日記

6/8()

生活リズムを戻すために、朝に寝て朝に起きた。研究室の朝礼zoomがある。このイベントは毎週月曜の朝にあり、要するに1週間の進捗報告みたいな会である。大学に来てから周りの人間が進捗という言葉に囚われすぎているように思えることがあって、ぼくは進捗という言葉を苦手に感じている。たまに自分も使ってしまうけど。

朝礼のあとは、いつもなら終わったらすぐに寝ていた。これでは余計に生活リズムが崩れるだけだ。今日は頑張って起きる。

朝ごはんにバナナを食べた。バナナの先っちょの部分は茶色くなってしまっていた。これって腐ってるんかな?と思いながら毎回食べている。幸いお腹を壊したことはないので、今回も全部食べた。

院試のためにTOEFLを受けなくてはいけないので、英語を勉強している。そもそも、アメリカ人とかに生まれてたらこんなことをする必要はないのに、と毎回思う。てか、世界に言語が何個もあるのがおかしいと思う。最初から1つの言語だけでいいやろ。

勉強にもほどなくして飽きて、あまりにも元気があり余ったので散歩に行くことにした。通ったことのない道を歩いていると、ワクワクする。こんなワクワク、もう数週間味わってへんわ。自分では結構インドア派な方だと思っていたが、このごろはインドア派であることを強制されてしまっているので、逆に外に出たくなってしまう。昔から天邪鬼なところがある。

しばらく歩くと、公園が見つかった。このご時世だからか、誰もいなかった。公園にはブランコがあった。ひどく解放的な気分だったので、1人でブランコに座ってみた。最初は人目をはばかりながら、小さく小さく漕いでいた。そうしているうちに、だんだん楽しくなってきて、思いっきり漕ぎ始めた。

小学生6年生のとき、クラスで帰りの会があって、そのあと校庭で学年全体で帰りの会をしてから帰っていた。学年全体の帰りの会の前に、他のクラスを待つ時間が発生していたので、その時間でブランコを思いっきり漕いでいた。ブランコを漕ぎながら、丸刈りの友達をハゲだとイジッたりしていた。今思うと寒気のするようなつまらないイジリ方をしていたけど、あのときはそれが楽しかった。(向こうもたぶん楽しんでツッこんでくれていた、と思いたい当時好きだった女の子が、仲良さそうにしてた友達の悪口を言っていたのを聞いて、ちょっと引いたのもよく覚えている。なんであんなに性格のよくない女の子を好きになったのかはよく思い出せない。

そんなことを考えながらブランコをひたすら漕いだ。なんて楽しいんだ、と思った。何なら鼻歌まで歌っていた。もうもはや誰に見られたって構わない。この街には、知り合いなど誰もいない。自宅から徒歩20分の公園で、僕は「旅の恥はかき捨て」状態に入った。はたから見れば相当怪しい人だっただろう。

自分は普段、他人の目を必要以上に気にしてしまう。他人からの評価をあまりにも気にしすぎてしまう。

あるとき、飲み会中に友達に「〇〇ってめっちゃ人の目を見てるよね、話してるときも話してないときも、よく目が合う」と言われたことがあった。

自分としては全く意識していなかったが、確かによく人の目を見ていた。それを言われた後も、いろんな人の目を見てしまっていた。

これはよく言えば、周りに気を配れている、ということなのかもしれないけど、自分的にはただ単に周りの目が気になっているだけのような気がする。その場を楽しめていない人がいないか、不安でしょうがないから周りの目をキョロキョロ見て、様子を伺ってしまっているのかもしれない。

しばらく漕ぐと疲れたので、本を読むことにした。オードリー若林さんのエッセイを読む。このごろずっとオードリーにハマっている。好きな芸人さんが書いた本だから、すっと頭の中に入ってくる。本屋に並んでいる自己啓発本は、なんか胡散臭いと思ってしまうきらいがあるけど、このエッセイは違った。こんなこと言うとミーハーだな!っ言われちゃうかもしれないけど、自分の人生観を変えられていくような感じがした。

このごろ気づいたのだが、自分は常に人にどう思われるかを過剰に気にしている。言ってしまえば自意識過剰なのだ。

あのときなんであんなこと言ってしまったんやろう、とか、あそこでこう言えばよかった、とか普段の生活から思うことが結構ある。他の人は自分が何を言おうがそこまで気にはしてない。それもわかってるけど、色々考えてしまう。色々考えてしまうのに、何も考えてないフリをするときもある。気にしすぎてる、と思われたくない。と、気にしている。

若林さんも、エッセイの中でスタバのグランデが注文できない時があった、と言っていた。グランデとか気取ってるもの頼んでんじゃねーよっていう気持ちがあるから、自分も頼めないっていうことらしい。このことに、めちゃくちゃ共感した。

自分が初めてスタバに行ったときのことをよく覚えている。ショート、トール、グランデの意味がわからなくて、一緒に行った友達に聞いた。注文を終えて受け取るのを待っているとき、SMLでええやろ、いきんなや、と悪態づいたことも鮮明に覚えている。

3になるくらいのときに高校の近くにスタバが新しくできて、何回か行ってみたが、コーヒー1杯でソファに座ってダラダラと友達と何時間も話せるのがよかったが、結局マクドの方が居心地がよくてマクドに舞い戻って行った。大学生になった今となってはスタバにもたまに行くことはあるが、(1人で行くことは絶対にない)さすがに適応しているフリをしている。心の奥底には、SMLでええやろ!って思っている部分はずっとある。(別にスタバが嫌いなわけではない)

本を読み、飽きたらブランコを漕ぐのを繰り返していると、ネコがやってきた。この公園には結構野良猫がたくさんいた。近寄ってきて、自分の方をジーッと見ていた。なに見てんねん、こっち見るなや、と心の中で吠えながら、こっちもジーっと見つめ返した。しばらく見つめあっていると、逃げて行った。勝ち誇ったような気持ちになった。なんてしょうもない人間なんやろう、自分。

夜になったので家に帰った。これからこれを習慣にしよう、と思った。



6/9()

今日は週に一回の研究室のミーティングがあった。ほとんど予定もない日々を送っていると、たまに生じる義務が余計にめんどくさく感じる。先輩たちは何を言っているのかわからない。たぶんインド映画の方が楽しめる気がする。研究室のミーティングをパソコンで垂れ流しながら、今日も公園に行こう、と決意する。

公園に行く。昨日はコンタクトをつけていなかったので、道中のものはよく見えなかったし何なら公園の構造もよくわかっていなかった。今日はメガネをつけているので、よく見える。まるで初めて通る道のように感じた。

今日は歩道橋を渡らないでいいように、違うサイドの道を通るようにした。

公園に着くと、昨日と違って子供たちがたくさんいた。ブランコが子供たちに占領されていたので、近くのベンチに座って順番を待つことにした。

ベンチに座って子供たちの様子をぼんやり眺めた。子供たちから見たら不審者のように映ったかもしれないけど、仕方がない。もし通報されても、身分証は持っていたし、危ないものも何も持っていないから大丈夫だ。子供はエネルギーに溢れていた。単なる移動なのに、猛ダッシュしている子供を見て、若いなぁ、と思ってしまった。もう感性がおじさんなのかもしれない。

しばらく待っていると、子供たちが帰り始めた。18時ごろだっただろうか。最近は日が長いので、子供たちが帰るのもちょっと遅くなってるんかもな。自分が子供の頃、よく放課後に友達と遊んだけど、夏は17時半に、冬は17時に帰るように親に言われてたなぁ。とか、結局時間になっても遊び足りなくて、友達の親に自分の親に電話してもらって、帰るのが遅くなるように伝えてもらってたりしたこととかを思い出した。あの頃はそれくらいしか連絡手段がなかった。今ではスマホで一発だし、そもそも独り暮らしなので帰りの時間を親に伝える必要もない。あのころ体ひとつ(とゲーム機)だけを持って何の不安もなく出かけていたのって、今となってはすごいことだ。スマホなしで外出するなんて考えられなくなってしまった。近所のコンビニですらスマホを持っていくし、何ならスマホで支払いをすませたりもする。時代やな。

今日もブランコを漕いでは読書をし、これを何度か繰り返した。日常から解放されるような感じがする。ただ、この日は蚊に8カ所くらい噛まれてしまった。そういえば、蚊に噛まれるって、方言らしい。「蚊には、刺される、でしょ」と東京に来てから何度も言われた。最初のうちはびっくりしたが、そういうもんらしい。そして「マクドじゃなくてマック」とか、そういうやり取りには決着がつかないことを学んだ。最近は、「いや、噛まれる、やろ」と返すものの、もうそのやりとり自体がマンネリ化してしまっているので、その言葉にはあまり血が通っていないかもしれない。関東vs関西、という構図に多少飽きてきてるのかもしれない。関東に来たてのときは、関東の人に対してお高く止まっているようなイメージを勝手に持って、劣等感のようなものからか対抗心を燃やす、ようなこともあったのかもしれない。けど実際はそんなことはなかった。結局、出身地で人間をカテゴライズすることって不可能やな、と気づいた。関西も関東も、その他の地域の人も、合う人は合うし合わない人は合わない。

しばらくすると、昨日の猫がまたやってきて、睨みつけてきた。

睨みつけてきている、と感じるのはほんとは自分が睨み付けているからなのかもしれない、と、ふと思った。なるべく優しい表情で見つめることにした。すると、サッサとどこかに行ってしまった。

「なんやねんアイツ」と思いながら、帰りの途についた。



6/10()

高校同期が家に来た。どうしても居酒屋に行きたくなったらしく、このご時世で一緒に行ってくれそうな、あんまりモラルがちゃんとしてなさそうなやつ、ということで自分に白羽の矢が立ったらしい。全然居酒屋に行ってもよかったのだが、モラルない代表として選ばれたのに少し腹が立って(ある意味うれしかったけど)、それに従うのはムカつくので、妥協策として家に来ることになった。(居酒屋とどっちがいいのかはよくわからないが自己責任)

就活が終わって、来年から就職するらしい。そいつが社会に出て働く姿がまったく想像できなかった。


自分の将来の話になった。このまま大した志もなく院に進んで、そのままメーカーに就職するのだろうか?

自分の人生を振り返ってみると、中学受験をしたい!と思ったときは主体的にそうしたが、中学に入ってからはずっと周りに流され、まったく主体性がなく今に至る。大学受験、学部振り分け、すべて周りに流されて下した決断だった。でも別に努力をしていないわけではなかった。特に大学受験のときはめちゃくちゃ勉強した。なんであんなに頑張れたんやろう?

東京での一人暮らしに多少の憧れがあったのかもしれない。実際ちょっとはワクワクした。

でも、大部分を占めていたのは、たぶん恐怖だと思う。落ちたらどうしよう、という恐怖。当時の自分は必要以上に受験に失敗することを恐れていた。

でも院試に関しては、落ちることに対する恐怖がそんなにない。別に落ちたって死ぬわけじゃないし。今年はいっぱい言い訳もできるし。何なら落ちた方がほんとにやりたいことが見つかることだってあるかもしれない。

前も言ったけど、このごろお笑い芸人のラジオをよく聴いている。お笑い芸人たちが日常の話をおもしろおかしく話してくれる。そうしているうちに、ほんとに自分がやりたいのはお笑い芸人なのかもしれない、とか思い始めた。バカげた話だ。

まぁ、お笑い芸人に関わらず、なんか変なことがしたい。このままメーカーに就職して普通に生活していたら、ありきたりな人生になってしまう。それなら、いっそ売れないお笑い芸人にでもなってしまった方が、人生としておもしろいんじゃないだろうか?こんなことを真剣に考えるときがある。かといって、今まで積み上げてきたもの(悲しいことに、学歴しかない)をぶっ壊してまでそういう他の道に行こう、という踏ん切りもつかない。なぜなら、その道を選んだことを後悔する日がくるかもしれない、とも思うからだ。


このことをそいつに言うと、「その踏ん切りがつかんならやめとけってことちゃう?」と言われた。

たしかにその通りなんやろうな。

そいつは、過去の自分の選択を後悔することがないらしい。過去の自分がその時点で出した最良の答えなのだから、後悔などしない、と言っていた。最高にかっこよかった。(皮肉じゃない)

そいつは、借金をして競馬をする。「借金で飲む酒はうまい」とその日も何回も言っていた。ロックンロールな生き方がかっこよく見えて、何回も「かっこええなぁ」と言った。ほんとはちゃんと止めないといけない。(借金は返せよ)


そんなやつも就職するんやな、と思うと何とも言えない気持ちになった。嬉しいような、寂しいような。自分の周りもいつか、結婚したとか子供ができたとか言い出すようになるんやろうな。取り残されたような気持ちになるのかもしれない。年は取りたくない。



6/11()

ここ数日、頑張って午前に起きていたのだが、この日は二度寝してしまった。起きたら昼だった。久しぶりに小説を読み始めた。

夜、TBSラジオのハライチのターンを聴くのが楽しみ。


6/12 ()

今日はリモートで卒業論文についての説明があった。長々とプログラミングのコードを説明され、「これはわかる?」と聞かれては「あんまりわからないですね」と言ってヘラヘラしては、説明されるというのが地獄のように続いた。(説明してくれること自体はありがたいんやけどその途中、猛烈な腹痛に襲われた。自分に対して説明してくれているので、抜けることなどできない。トイレに行きたい、と言い出せない。このままでは「一人暮らしの自宅」というもっとも漏らし難い空間で漏らすことになってしまう。冷や汗が出てきた。そこで、1人の先輩が質問を始めた。その瞬間にぼくはミュートボタンをサッと押し、トイレにパソコンを持っていく。自分に対して話しかけられたら終わる。そんなスリルの中、事を終え、何とか復活することができた。自分の家で何をやってるんやろう。

zoomが終わった瞬間、1人で「長いねん!!」と言った。独り言が多くなっている。

晩ご飯は、「肉を焼いたやつ」である。これで5日連続だ。肉を焼いて、ニンニクチューブをちょっと入れて、醤油を垂らす。これだけなので、3分くらいで作れる。毎日これを食べている。めんどくさがりの自分にはこれしかない。次に人に会うとき、めちゃくちゃニンニク臭かったら嫌やな。

もはやこのごろ食事は喜びでもなんでもなく、生きるための手段としての機能しか持たなくなってきている。2週間に1回くらい気が向いた時に買って食べるコンビニのプリンが死ぬほど美味しく感じられるので、こういうのも案外悪くないのかもしれない。いや、やっぱりそんなわけはない。

早く気兼ねなく外食したい!


6/13 ()

朝、起きれないのも慣れっこだ。起きて時計を見て、12時をとっくに過ぎていたって、まったく動じない。王者の風格である。

野球を見た。相変わらず阪神打線はまったく打たない。毎年毎年、新外国人野手が期待されて入団してくる。しかしほとんどの場合、まったく打てない。近頃だとマートンとゴメスくらいだ。コンラッドなんて酷かった。打点が0アメリカに帰っていった。(おもしろすぎて大好きやけど開幕前には期待を膨らませるような記事ばかりが書かれて、今年こそは、と思うのだが毎年毎年裏切られるのだ。ダメ男に引っかかる女の人も、そんな感じなんかな。

今年もボーアに期待して、阪神の優勝を期待している。(もう15年も優勝してないのに)


今日は瀬佐味亭(おれが愛してやまない坦々麺屋)に行った。40分歩いて店に向かう。電車に乗らない生活に慣れてしまい、何となく電車に乗らないようにしている。もうかれこれ3ヶ月くらい電車にまったく乗っていない。

学科の友達と合流した。会うのは4ヶ月ぶりとかだった。荒野行動のボイスチャットでよく話していたので久しぶりな感じが全然しなかった。

3ヶ月ぶりくらいの外食は、本当に美味しかっ

た。やっぱり瀬佐味亭は最高の店やな。味も、店員さんも。(顔なじみの店員さんはその日いなくて残念だったけど間違いなく大学生活において1番の思い出に残る店だ。

学科の友達と直で話すのは久しぶりで、やっぱりみんな将来についてとかいろいろ考えていた。素直に自分も程々にがんばらないとな、と思った。

帰り道、近くのスーパーに買い物に行くという友達についていった。雨が降っていたので、傘を持っていたが、友達が入り口の傘置きに傘を置いたので、なんとなくそれに倣って自分も傘を置いた。このとき、帰るとき忘れそうやな、と直感的に思った。21年も生きているとなんとなくそれくらいのことはわかる。

友達が買い物を終えて、店を出て別れた。美味しいものを食べて友達と話す、というこれまでなら当たり前だったことだが、久しぶりにやるとめちゃくちゃ楽しかった。ウキウキで音楽を聴きながら、何なら小さく口ずさみながら帰っていた。15分くらい歩いたとき、ふと気づいた。傘を忘れた。雨が止んでいたので気づかなかった。雨、行き道で降ったなら帰り道でも降れ。絶対傘忘れるから。

傘を取りに帰った。傘だけ取ってすぐに店を出ると、傘立ての前でゴミをまとめていた店員さんがジロジロ見てきた。傘泥棒じゃないねんて。

オードリーのオールナイトニッポンを聴いて、ダラダラしていると朝になってしまった。また明日も朝起きれないだろうな、と思いながら寝る。


6/14()

案の定起きられなかった。14時だ。荒野行動をすると、もうすでに夕方になっていた。研究室の発表の準備をする。訳の分からない論文を読んで、自分でも訳がわからないことをもっともらしく発表する。まったくワクワクすることがない。興味が湧かない。人生に刺激が欲しい!