負け試合

7/28,30に、神宮球場阪神戦を観に行った。どちらも1人で観に行った。大学生になるまでは、1人で野球を観に行くなんて考えられなかったが、1回行ってしまえば1人で行くことも屁でもなくなり、このごろは結構1人で行っている。
1日目は阪神が大勝した。なんと20点も取った。打てばヒット、ホームランという状態で、満塁ホームランも2本出てお祭り騒ぎだった。ご時世的に声を出してはいけないというルールがあったので、ひたすら1人でニヤニヤしながら観ていた。マスクの着用も義務付けられているのでニヤニヤしていても誰にもバレない。
観戦2日目、3連戦の最終日。カード勝ち越しをかけた大事な一戦の先発ピッチャーは、藤浪晋太郎だ。
藤浪は高校時代、大阪桐蔭のエースとして甲子園春夏連覇を達成し、鳴り物入り阪神タイガースに入団した。高卒1年目から3年連続で2ケタ勝利を達成し、ファンは皆、阪神のエースの階段を登っていくと信じていた。ところが、あるところから歯車が狂い始め、勝てなくなる。ストライクが入らず、直球がすっぽ抜けてデッドボールとなってしまうことが多くなり、イップスではないかとまで囁かれた。
ここ数年の藤浪は、マウンド上で不安げな表情を浮かべ、抜け球が出るたびに球場からは悲鳴が上がり、何度もマウンド上でフォームを気にして、バッターと対戦しているというよりは、自分と戦っているようにしか見えなかった。
藤浪は終わった、もう厳しい、とまで言う人もたくさんいた。
高校時代からの活躍、素材の素晴らしさはわかっているだけに、このような状況は、ファンにとっても、もちろん本人にとってももどかしかったに違いない。

2軍で結果をある程度出して臨んだ今シーズン初登板、今までとは少し違った藤浪の姿が見られた。結局逆転満塁ホームランを打たれて降板したのだが、この日の藤浪は自分と戦っているのではなく、しっかりとバッターと対戦しているように見えた。降板後、悔しそうな表情を浮かべながらベンチで声援を送る姿をテレビ越しで見て、今年の藤浪はもしかするとやってくれるかもしれない、という期待を抱いた。

どうしても藤浪のピッチングをこの目で見たくて、チケットを取った。

試合前のブルペンでの投球を見ていると、期待感半分、不安感半分の何とも言えないような、祈るような気持ちになった。

試合が始まった。
1回、簡単にツーアウトを取るも、3番の青木にストレートのファーボールを出してしまった。しかし、4番の村上を154km/hのストレートで空振り三振に切ってとった。この球はあっと声が出そうになるほどいい球だった。この回投じた20球のうちなんと19球がストレートだった。
2回に先制を許すも、3回からはカットボールやフォークも決まるようになり、三振の山を築いた。

これがおれが見たかった藤浪だ!とかなり興奮したし、終始祈るような気持ちで見ていた。

藤浪は踏ん張っていたものの、ヤクルトの先発高橋の出来がかなりよく、打線は1点も取れず援護することができない。

迎えた7回裏、先頭バッターの宮本をショートゴロに打ち取ったかに思われたが、ショート北條がエラーしてしまう。

北條は守備に不安があり、この当たりも飛んだ瞬間嫌な予感がしたのだが、案の定弾いてしまった。
大声禁止なのにも関わらず阪神ファンから怒号が飛んだ。

ワンアウト2塁となった後、再び二遊間にゴロが飛んだ。これを北條がまたも弾いてしまい、内野安打としてしまう。
この打球もたしかに難しい当たりではあったのだが、アウトにしてほしい打球ではあった。阪神ファンのフラストレーションは最高潮に達した。ヤジ、怒号が飛び交った。

2アウト1,3塁とされ、迎えるバッターは坂口。追加点を許せないこの場面では迎えたくない嫌なバッターに回ってきた。藤浪が投じた2球目、坂口が放った打球は藤浪の手首に直撃した。跳ね返ったボールはピッチャーとキャッチャーの間に転々とした。間に合わないな、と諦めたその時、藤浪が必死になってボールに追いつき態勢を崩しながら無理矢理1塁に送球した。結果的にこれが悪送球となり、追加点を許してしかもランナーを進めてしまう結果となった。

状況的に判断すると、決して無理に投げてはいけない場面だ。もうすでに間に合わないタイミングだったし、無理に送球すべきではない、というのが冷静な判断だったと思う。しかし、この無理矢理1塁に投げた、というプレーからは藤浪の勝ちへの執着心というか気迫が感じられた。

今までの自分なら、どうせ間に合わんし投げんなよ!と思っていた気がするが、今日に関してはまったく責める気にはならなかった。

そのあと、センターとショートの間にフラフラと上がったフライを北條が落球してしまい、さらに2点の追加点を取られてしまう。4-0。今日の打線からしたら絶望的なスコアだ。阪神ファンからはめちゃくちゃにヤジが飛んだ。北條帰れ!鳴尾浜行け!引っ込め!

自分も小さい声でブツブツ、何やってんねん…と言ってしまった。さすがにこうもミスが続くとかなりイライラしてくる。

何とか藤浪はこの回を投げ終え、ベンチに戻っていった。球場からはよく頑張った!という拍手が送られた。今までならイライラしてそんな拍手はする気にはならなかったと思うが、今日は素直に拍手することができた。藤浪、ナイスピッチング! 大声が禁止されていなければ、そう叫んでいたであろう心境だった。

4-0と絶望的な点差になってしまったが、8回表、ワンアウト満塁のチャンスを作る。一発出れば同点というところで、結果は最悪のゲッツー。1点も入らない。

8回裏、出てきたのはルーキーの小川。なかなかストライクが入らず、ストライクを取りに行った球を打たれるという典型的なよくないときのピッチング。ここで2点を奪われ、6-0。
ここでも今までなら罵詈雑言を浴びせていただろうが、今日はなぜか平常心で一部始終を見ることができた。ルーキーやし、これをいい経験にしてくれれば。そういう気持ちで見ていた。もう完全におじさんの視点である。

9回も特に見せ場はなく、万事休す。敵チームのヒーローインタビューなんぞ見る義理もないので、すぐに帰宅の途についた。

帰り道、北條のエラーにはかなりイライラしながらも、心のどこかで藤浪のいいピッチングが見れたしまぁよかったか、と思う気持ちがあった。

今まで何試合も負け試合を見てきたが、負け試合の中でもまぁいいもの見れたしいいか、などと思ったことは一度もなかった。負けたらクソ、金返せ!と思わなかった負け試合はなかった。

今日に関しては、金返せ!という気持ちはほとんど湧いてこなかった。北條のエラーに関しても、ムカつくのは期待の裏返しなのだ。

北條は藤浪のドラフト同期で、甲子園の決勝で藤浪と対戦している。甲子園のスターを両獲りしたときの興奮は忘れられない。高校時代から見てきた選手で思い入れがあるからこそ、もっと大きく育って欲しいし、しょうもないミスをすると悔しいし腹が立つ。

今日は散々な1日だっただろうし本人も悔しくないわけがない。観客からも相当にヤジられて批判されていた。(おれもヤジってはないけど批判した) ありきたりだけど、この悔しさをバネにして、なんとか奮起してほしいし、やり返してくれると信じている。

むやみやたらと選手をヤジらず、負け試合でもある程度満足して帰ることができたのは、大人になったということなのかもしれないとも思うのだが、結局ご時世的に大声を禁じられて、静かに観戦しないといけない、という現状があるからなのかもしれないとも思う。

これを確かめるためにも、めちゃくちゃ密になって、皆が思い思いの声援を気兼ねなく選手たちに送れるような状況に早くなればいいな、と思う。
やっぱり満員の観客の興奮や熱狂が味わいたい。5万人の甲子園球場に早く行きたい!

334

今日も阪神が負けた。9回裏までリードしていたのに、最後の最後に守備にミスが出て追いつかれ、トドメにホームランを打たれた。こういう負け方をすると、本当に頭がおかしくなりそうなくらい腹が立つし、しばらくは何も手につかない。心を落ち着かせるのに、めちゃくちゃ時間がかかるのだ。

ぼくは物心ついたときから阪神タイガースが大好きだ。物心つきたてのとき、阪神は強かった。03年、05年と優勝したのをハッキリと覚えている。阪神は強いものだ、と完全に思い込んでいた。子供だったので、自分の思い通りにならないということもある、というのがよくわかっていなくて、自分の誕生日に33-4が完成されてロッテが日本一を決めたときには衝撃を受けた。というより、現実がなかなか受け入れられなかった。それでも、自分にとって阪神タイガースはかっこよくて強いヒーローのようなものだった。

しかし、時間が経つ(自分が大人になる)につれて、現実の厳しさを思い知らされた。阪神は、決して強くなどなかったのだ。むしろ、弱い。その証拠に、2005年以来もう14年も優勝していない。ここぞ、という勝負のときには決まって負けた。いい思い出ももちろんたくさんあるが、ほろ苦い思い出の方がはるかに多い。


子供のころのヒーロー、金本知憲選手が引退するときに、「野球をやっていて、苦しかったことが8,9割だった」と話していた。この言葉は阪神ファンにも通じるし、何なら人生にも通じるところがあると思う。でも1,2割の喜びがあるからこそ、自分は阪神ファンを辞めることはできないのだ。



このごろ、無観客試合が終わり、人数制限をかけながらではあるが観客が入るようになった。そこで気になったのが、観客のヤジだ。今、ご時世的に、大声を出しての応援は自粛するように求められているのだが、テレビ越しにも観客のヤジが聴こえてくる。

これに関しては結構批判されている。たとえば、今日のようにホームランを打たれてしまったとき、観客から「帰れ!」などといった、「心ない」ヤジが飛んだ。こういったヤジは選手たちも傷つくし、萎縮してしまうからやめろ、という意見をよく見かける。

たしかにこういったヤジは、気分のいいものではないかもしれない。しかし、ホントにこういうヤジは、「心ない」んでしょうか?

実際に球場に行ってみても、たしかに阪神ファンのヤジは厳しい。ただその分、活躍した選手には惜しみない賛辞が送られていたし、そういうヤジを飛ばすような人たちは阪神のことが本当に好きなのだ。好きだからこそ、活躍したときには喜ぶし、不甲斐ないプレーをしたときには厳しい声が飛ぶのだ。

だから、「心ない」という表現にはすごく違和感があるし、むしろ心はあるんじゃないだろうか、と思う。

まぁたしかに厳しすぎることもあるし言わない方が選手たちは伸び伸びプレーできるのかもしれないけど、もうこれは阪神という人気球団の宿命なのではないだろうか、と思う。こういったヤジは、期待の裏返し、と言うのは安易すぎるかもしれないけど、少なくとも愛情の裏返しではあると思う。好きだからこそ文句のひとつやふたつも言いたくなるのだ。



幼少期からよく親に連れられて甲子園球場に野球を観に行っていた。そこにはたくさんの阪神ファンがいて、中には明らかにヤバそうな人もいた。たとえば1人でブツブツなにか呟きながら試合を観ているおっさんとかである。そういうおっさんを観て、「うわ、こわっ。しゃべりかけられたくないな」とか子供のころは思っていた。


一昨年、突然思い立って1人で神宮球場を訪れた。1人で野球を球場で観るのは初めてだった。試合の序盤の方は、応援歌をみんなに合わせて歌う程度で、ほとんど黙って試合を見ていたのだが、試合が進むにつれて興奮してきてしまい、声を出さずにはいられなくなってしまった。1人で、「頼む!」とか、「今のストライクやろ!」とかブツブツ自然と口に出すようになってしまったのだ。結局、幼少期に絡みたくないと思っていたおっさんになってしまっていたのだ。

家で見ていても、ブツブツ独り言を言っている。「どこ見とんねんクソ審判!」とか「いやそれ捉えろよ!」とか。


阪神を観ている時が1番感情が揺れ動く。勝ったときはめちゃくちゃ嬉しいし、負けた時はめちゃくちゃイライラする。高校生のとき、逆転負けしたときに眼鏡ケースをぶん投げて破壊したり、机を蹴って膝をケガしたり、世界史の資料集をビリビリに破いてゴミ箱に叩き込んだりしたこともある。(さすがにガキすぎる)

試合を観ているとヤジを飛ばしてしまうというおっさんの気持ちがよくわかる。愛があるからこそ、ヤジを飛ばすんだと思う。だから、汚いヤジを飛ばすおっさんがいても、たとえそれが不快なものであったとしたって、そのおっさんを嫌いになることはできない。




阪神ファンは基本的にネガティブ思考だ。ネガティブ発言を繰り返すし、自虐ばかりしている。チャンスを迎えたときも、「〇〇、頼む!」というよりは、「三振しそうゲッツーだけはやめてくれよ」などと思っている。そして、その悪い方の予感が当たることの方がはるかに多い。(体感応援はするけど、お金を賭けろと言われたら他のチームに賭けるのだ。基本的に、「期待しない」というスタイルである。期待を裏切られる方がはるかに多いからだ。現に、毎年毎年シーズンが始まる前には優勝や!とか言いながらも14年間も優勝していない。でも、まっっったく期待しないわけではない。うっっっっすい期待を抱いているからこそ、応援するのだ。たまーーーーにその期待が現実となると、お祭り騒ぎである。これが1,2割の喜びで、これがあるからこそ、かっぱえびせんのように、阪神ファンは辞められないし止まらないのだ。


明日からは勝ちまくってほしいな、いっぱい負けるんやろうけど。

死ぬまでにあと2回は優勝してほしいな。

頭の中を整理するための日記

6/8()

生活リズムを戻すために、朝に寝て朝に起きた。研究室の朝礼zoomがある。このイベントは毎週月曜の朝にあり、要するに1週間の進捗報告みたいな会である。大学に来てから周りの人間が進捗という言葉に囚われすぎているように思えることがあって、ぼくは進捗という言葉を苦手に感じている。たまに自分も使ってしまうけど。

朝礼のあとは、いつもなら終わったらすぐに寝ていた。これでは余計に生活リズムが崩れるだけだ。今日は頑張って起きる。

朝ごはんにバナナを食べた。バナナの先っちょの部分は茶色くなってしまっていた。これって腐ってるんかな?と思いながら毎回食べている。幸いお腹を壊したことはないので、今回も全部食べた。

院試のためにTOEFLを受けなくてはいけないので、英語を勉強している。そもそも、アメリカ人とかに生まれてたらこんなことをする必要はないのに、と毎回思う。てか、世界に言語が何個もあるのがおかしいと思う。最初から1つの言語だけでいいやろ。

勉強にもほどなくして飽きて、あまりにも元気があり余ったので散歩に行くことにした。通ったことのない道を歩いていると、ワクワクする。こんなワクワク、もう数週間味わってへんわ。自分では結構インドア派な方だと思っていたが、このごろはインドア派であることを強制されてしまっているので、逆に外に出たくなってしまう。昔から天邪鬼なところがある。

しばらく歩くと、公園が見つかった。このご時世だからか、誰もいなかった。公園にはブランコがあった。ひどく解放的な気分だったので、1人でブランコに座ってみた。最初は人目をはばかりながら、小さく小さく漕いでいた。そうしているうちに、だんだん楽しくなってきて、思いっきり漕ぎ始めた。

小学生6年生のとき、クラスで帰りの会があって、そのあと校庭で学年全体で帰りの会をしてから帰っていた。学年全体の帰りの会の前に、他のクラスを待つ時間が発生していたので、その時間でブランコを思いっきり漕いでいた。ブランコを漕ぎながら、丸刈りの友達をハゲだとイジッたりしていた。今思うと寒気のするようなつまらないイジリ方をしていたけど、あのときはそれが楽しかった。(向こうもたぶん楽しんでツッこんでくれていた、と思いたい当時好きだった女の子が、仲良さそうにしてた友達の悪口を言っていたのを聞いて、ちょっと引いたのもよく覚えている。なんであんなに性格のよくない女の子を好きになったのかはよく思い出せない。

そんなことを考えながらブランコをひたすら漕いだ。なんて楽しいんだ、と思った。何なら鼻歌まで歌っていた。もうもはや誰に見られたって構わない。この街には、知り合いなど誰もいない。自宅から徒歩20分の公園で、僕は「旅の恥はかき捨て」状態に入った。はたから見れば相当怪しい人だっただろう。

自分は普段、他人の目を必要以上に気にしてしまう。他人からの評価をあまりにも気にしすぎてしまう。

あるとき、飲み会中に友達に「〇〇ってめっちゃ人の目を見てるよね、話してるときも話してないときも、よく目が合う」と言われたことがあった。

自分としては全く意識していなかったが、確かによく人の目を見ていた。それを言われた後も、いろんな人の目を見てしまっていた。

これはよく言えば、周りに気を配れている、ということなのかもしれないけど、自分的にはただ単に周りの目が気になっているだけのような気がする。その場を楽しめていない人がいないか、不安でしょうがないから周りの目をキョロキョロ見て、様子を伺ってしまっているのかもしれない。

しばらく漕ぐと疲れたので、本を読むことにした。オードリー若林さんのエッセイを読む。このごろずっとオードリーにハマっている。好きな芸人さんが書いた本だから、すっと頭の中に入ってくる。本屋に並んでいる自己啓発本は、なんか胡散臭いと思ってしまうきらいがあるけど、このエッセイは違った。こんなこと言うとミーハーだな!っ言われちゃうかもしれないけど、自分の人生観を変えられていくような感じがした。

このごろ気づいたのだが、自分は常に人にどう思われるかを過剰に気にしている。言ってしまえば自意識過剰なのだ。

あのときなんであんなこと言ってしまったんやろう、とか、あそこでこう言えばよかった、とか普段の生活から思うことが結構ある。他の人は自分が何を言おうがそこまで気にはしてない。それもわかってるけど、色々考えてしまう。色々考えてしまうのに、何も考えてないフリをするときもある。気にしすぎてる、と思われたくない。と、気にしている。

若林さんも、エッセイの中でスタバのグランデが注文できない時があった、と言っていた。グランデとか気取ってるもの頼んでんじゃねーよっていう気持ちがあるから、自分も頼めないっていうことらしい。このことに、めちゃくちゃ共感した。

自分が初めてスタバに行ったときのことをよく覚えている。ショート、トール、グランデの意味がわからなくて、一緒に行った友達に聞いた。注文を終えて受け取るのを待っているとき、SMLでええやろ、いきんなや、と悪態づいたことも鮮明に覚えている。

3になるくらいのときに高校の近くにスタバが新しくできて、何回か行ってみたが、コーヒー1杯でソファに座ってダラダラと友達と何時間も話せるのがよかったが、結局マクドの方が居心地がよくてマクドに舞い戻って行った。大学生になった今となってはスタバにもたまに行くことはあるが、(1人で行くことは絶対にない)さすがに適応しているフリをしている。心の奥底には、SMLでええやろ!って思っている部分はずっとある。(別にスタバが嫌いなわけではない)

本を読み、飽きたらブランコを漕ぐのを繰り返していると、ネコがやってきた。この公園には結構野良猫がたくさんいた。近寄ってきて、自分の方をジーッと見ていた。なに見てんねん、こっち見るなや、と心の中で吠えながら、こっちもジーっと見つめ返した。しばらく見つめあっていると、逃げて行った。勝ち誇ったような気持ちになった。なんてしょうもない人間なんやろう、自分。

夜になったので家に帰った。これからこれを習慣にしよう、と思った。



6/9()

今日は週に一回の研究室のミーティングがあった。ほとんど予定もない日々を送っていると、たまに生じる義務が余計にめんどくさく感じる。先輩たちは何を言っているのかわからない。たぶんインド映画の方が楽しめる気がする。研究室のミーティングをパソコンで垂れ流しながら、今日も公園に行こう、と決意する。

公園に行く。昨日はコンタクトをつけていなかったので、道中のものはよく見えなかったし何なら公園の構造もよくわかっていなかった。今日はメガネをつけているので、よく見える。まるで初めて通る道のように感じた。

今日は歩道橋を渡らないでいいように、違うサイドの道を通るようにした。

公園に着くと、昨日と違って子供たちがたくさんいた。ブランコが子供たちに占領されていたので、近くのベンチに座って順番を待つことにした。

ベンチに座って子供たちの様子をぼんやり眺めた。子供たちから見たら不審者のように映ったかもしれないけど、仕方がない。もし通報されても、身分証は持っていたし、危ないものも何も持っていないから大丈夫だ。子供はエネルギーに溢れていた。単なる移動なのに、猛ダッシュしている子供を見て、若いなぁ、と思ってしまった。もう感性がおじさんなのかもしれない。

しばらく待っていると、子供たちが帰り始めた。18時ごろだっただろうか。最近は日が長いので、子供たちが帰るのもちょっと遅くなってるんかもな。自分が子供の頃、よく放課後に友達と遊んだけど、夏は17時半に、冬は17時に帰るように親に言われてたなぁ。とか、結局時間になっても遊び足りなくて、友達の親に自分の親に電話してもらって、帰るのが遅くなるように伝えてもらってたりしたこととかを思い出した。あの頃はそれくらいしか連絡手段がなかった。今ではスマホで一発だし、そもそも独り暮らしなので帰りの時間を親に伝える必要もない。あのころ体ひとつ(とゲーム機)だけを持って何の不安もなく出かけていたのって、今となってはすごいことだ。スマホなしで外出するなんて考えられなくなってしまった。近所のコンビニですらスマホを持っていくし、何ならスマホで支払いをすませたりもする。時代やな。

今日もブランコを漕いでは読書をし、これを何度か繰り返した。日常から解放されるような感じがする。ただ、この日は蚊に8カ所くらい噛まれてしまった。そういえば、蚊に噛まれるって、方言らしい。「蚊には、刺される、でしょ」と東京に来てから何度も言われた。最初のうちはびっくりしたが、そういうもんらしい。そして「マクドじゃなくてマック」とか、そういうやり取りには決着がつかないことを学んだ。最近は、「いや、噛まれる、やろ」と返すものの、もうそのやりとり自体がマンネリ化してしまっているので、その言葉にはあまり血が通っていないかもしれない。関東vs関西、という構図に多少飽きてきてるのかもしれない。関東に来たてのときは、関東の人に対してお高く止まっているようなイメージを勝手に持って、劣等感のようなものからか対抗心を燃やす、ようなこともあったのかもしれない。けど実際はそんなことはなかった。結局、出身地で人間をカテゴライズすることって不可能やな、と気づいた。関西も関東も、その他の地域の人も、合う人は合うし合わない人は合わない。

しばらくすると、昨日の猫がまたやってきて、睨みつけてきた。

睨みつけてきている、と感じるのはほんとは自分が睨み付けているからなのかもしれない、と、ふと思った。なるべく優しい表情で見つめることにした。すると、サッサとどこかに行ってしまった。

「なんやねんアイツ」と思いながら、帰りの途についた。



6/10()

高校同期が家に来た。どうしても居酒屋に行きたくなったらしく、このご時世で一緒に行ってくれそうな、あんまりモラルがちゃんとしてなさそうなやつ、ということで自分に白羽の矢が立ったらしい。全然居酒屋に行ってもよかったのだが、モラルない代表として選ばれたのに少し腹が立って(ある意味うれしかったけど)、それに従うのはムカつくので、妥協策として家に来ることになった。(居酒屋とどっちがいいのかはよくわからないが自己責任)

就活が終わって、来年から就職するらしい。そいつが社会に出て働く姿がまったく想像できなかった。


自分の将来の話になった。このまま大した志もなく院に進んで、そのままメーカーに就職するのだろうか?

自分の人生を振り返ってみると、中学受験をしたい!と思ったときは主体的にそうしたが、中学に入ってからはずっと周りに流され、まったく主体性がなく今に至る。大学受験、学部振り分け、すべて周りに流されて下した決断だった。でも別に努力をしていないわけではなかった。特に大学受験のときはめちゃくちゃ勉強した。なんであんなに頑張れたんやろう?

東京での一人暮らしに多少の憧れがあったのかもしれない。実際ちょっとはワクワクした。

でも、大部分を占めていたのは、たぶん恐怖だと思う。落ちたらどうしよう、という恐怖。当時の自分は必要以上に受験に失敗することを恐れていた。

でも院試に関しては、落ちることに対する恐怖がそんなにない。別に落ちたって死ぬわけじゃないし。今年はいっぱい言い訳もできるし。何なら落ちた方がほんとにやりたいことが見つかることだってあるかもしれない。

前も言ったけど、このごろお笑い芸人のラジオをよく聴いている。お笑い芸人たちが日常の話をおもしろおかしく話してくれる。そうしているうちに、ほんとに自分がやりたいのはお笑い芸人なのかもしれない、とか思い始めた。バカげた話だ。

まぁ、お笑い芸人に関わらず、なんか変なことがしたい。このままメーカーに就職して普通に生活していたら、ありきたりな人生になってしまう。それなら、いっそ売れないお笑い芸人にでもなってしまった方が、人生としておもしろいんじゃないだろうか?こんなことを真剣に考えるときがある。かといって、今まで積み上げてきたもの(悲しいことに、学歴しかない)をぶっ壊してまでそういう他の道に行こう、という踏ん切りもつかない。なぜなら、その道を選んだことを後悔する日がくるかもしれない、とも思うからだ。


このことをそいつに言うと、「その踏ん切りがつかんならやめとけってことちゃう?」と言われた。

たしかにその通りなんやろうな。

そいつは、過去の自分の選択を後悔することがないらしい。過去の自分がその時点で出した最良の答えなのだから、後悔などしない、と言っていた。最高にかっこよかった。(皮肉じゃない)

そいつは、借金をして競馬をする。「借金で飲む酒はうまい」とその日も何回も言っていた。ロックンロールな生き方がかっこよく見えて、何回も「かっこええなぁ」と言った。ほんとはちゃんと止めないといけない。(借金は返せよ)


そんなやつも就職するんやな、と思うと何とも言えない気持ちになった。嬉しいような、寂しいような。自分の周りもいつか、結婚したとか子供ができたとか言い出すようになるんやろうな。取り残されたような気持ちになるのかもしれない。年は取りたくない。



6/11()

ここ数日、頑張って午前に起きていたのだが、この日は二度寝してしまった。起きたら昼だった。久しぶりに小説を読み始めた。

夜、TBSラジオのハライチのターンを聴くのが楽しみ。


6/12 ()

今日はリモートで卒業論文についての説明があった。長々とプログラミングのコードを説明され、「これはわかる?」と聞かれては「あんまりわからないですね」と言ってヘラヘラしては、説明されるというのが地獄のように続いた。(説明してくれること自体はありがたいんやけどその途中、猛烈な腹痛に襲われた。自分に対して説明してくれているので、抜けることなどできない。トイレに行きたい、と言い出せない。このままでは「一人暮らしの自宅」というもっとも漏らし難い空間で漏らすことになってしまう。冷や汗が出てきた。そこで、1人の先輩が質問を始めた。その瞬間にぼくはミュートボタンをサッと押し、トイレにパソコンを持っていく。自分に対して話しかけられたら終わる。そんなスリルの中、事を終え、何とか復活することができた。自分の家で何をやってるんやろう。

zoomが終わった瞬間、1人で「長いねん!!」と言った。独り言が多くなっている。

晩ご飯は、「肉を焼いたやつ」である。これで5日連続だ。肉を焼いて、ニンニクチューブをちょっと入れて、醤油を垂らす。これだけなので、3分くらいで作れる。毎日これを食べている。めんどくさがりの自分にはこれしかない。次に人に会うとき、めちゃくちゃニンニク臭かったら嫌やな。

もはやこのごろ食事は喜びでもなんでもなく、生きるための手段としての機能しか持たなくなってきている。2週間に1回くらい気が向いた時に買って食べるコンビニのプリンが死ぬほど美味しく感じられるので、こういうのも案外悪くないのかもしれない。いや、やっぱりそんなわけはない。

早く気兼ねなく外食したい!


6/13 ()

朝、起きれないのも慣れっこだ。起きて時計を見て、12時をとっくに過ぎていたって、まったく動じない。王者の風格である。

野球を見た。相変わらず阪神打線はまったく打たない。毎年毎年、新外国人野手が期待されて入団してくる。しかしほとんどの場合、まったく打てない。近頃だとマートンとゴメスくらいだ。コンラッドなんて酷かった。打点が0アメリカに帰っていった。(おもしろすぎて大好きやけど開幕前には期待を膨らませるような記事ばかりが書かれて、今年こそは、と思うのだが毎年毎年裏切られるのだ。ダメ男に引っかかる女の人も、そんな感じなんかな。

今年もボーアに期待して、阪神の優勝を期待している。(もう15年も優勝してないのに)


今日は瀬佐味亭(おれが愛してやまない坦々麺屋)に行った。40分歩いて店に向かう。電車に乗らない生活に慣れてしまい、何となく電車に乗らないようにしている。もうかれこれ3ヶ月くらい電車にまったく乗っていない。

学科の友達と合流した。会うのは4ヶ月ぶりとかだった。荒野行動のボイスチャットでよく話していたので久しぶりな感じが全然しなかった。

3ヶ月ぶりくらいの外食は、本当に美味しかっ

た。やっぱり瀬佐味亭は最高の店やな。味も、店員さんも。(顔なじみの店員さんはその日いなくて残念だったけど間違いなく大学生活において1番の思い出に残る店だ。

学科の友達と直で話すのは久しぶりで、やっぱりみんな将来についてとかいろいろ考えていた。素直に自分も程々にがんばらないとな、と思った。

帰り道、近くのスーパーに買い物に行くという友達についていった。雨が降っていたので、傘を持っていたが、友達が入り口の傘置きに傘を置いたので、なんとなくそれに倣って自分も傘を置いた。このとき、帰るとき忘れそうやな、と直感的に思った。21年も生きているとなんとなくそれくらいのことはわかる。

友達が買い物を終えて、店を出て別れた。美味しいものを食べて友達と話す、というこれまでなら当たり前だったことだが、久しぶりにやるとめちゃくちゃ楽しかった。ウキウキで音楽を聴きながら、何なら小さく口ずさみながら帰っていた。15分くらい歩いたとき、ふと気づいた。傘を忘れた。雨が止んでいたので気づかなかった。雨、行き道で降ったなら帰り道でも降れ。絶対傘忘れるから。

傘を取りに帰った。傘だけ取ってすぐに店を出ると、傘立ての前でゴミをまとめていた店員さんがジロジロ見てきた。傘泥棒じゃないねんて。

オードリーのオールナイトニッポンを聴いて、ダラダラしていると朝になってしまった。また明日も朝起きれないだろうな、と思いながら寝る。


6/14()

案の定起きられなかった。14時だ。荒野行動をすると、もうすでに夕方になっていた。研究室の発表の準備をする。訳の分からない論文を読んで、自分でも訳がわからないことをもっともらしく発表する。まったくワクワクすることがない。興味が湧かない。人生に刺激が欲しい!

最近のこと

子供たちが近所で遊ぶ声で目が覚めた。朝っぱらから子供というのは元気があり余っている。ちゃんと自宅待機してくれよ… やれやれ、と思いながらスマホで時間を見る。14時半である。はぁ、とため息が出る。全然朝っぱらではなかった。朝寝始めたのだから当然のことだ。いつまでこんな生活が続くのだろうか。



エッセイ風に書き始めてみました。こんばんは。


自粛生活、長いですね。さすがにいろいろと飽きてきました。まぁダラダラすることにかけては才能があるようなので、結構元気にやっています。困ることとしては、マジで人と話す機会がほとんどないことですね。荒野行動とかFortniteボイスチャットで友達と話したりしているので、まぁ何とか正気を保てています。あとは、自炊の飯があんまり美味しくないことです。まずくもないんですが、何となくあんまり美味しくないですね。早く気兼ねなく外食できる世の中に戻って欲しいです。


最近完全に生活リズムが狂ってしまい、朝になるまで寝れないです。朝に寝て、昼過ぎ〜夕方に起きるという生活リズムになってしまっています。夜にも寝ようと努力はしているので、1日のほとんどをベッドの上で、しかも真っ暗な部屋で過ごしていることになります。これもまた困ったことです。


あと最近自分の中でお笑いブームが来ています。暇すぎて、youtubeで漫才の動画をいっぱい観たり、オードリーのオールナイトニッポンを聴きまくったりした結果、オードリーに完全にハマってしまいました。


夜、全然眠れないので、ラジオへのメールを考えたり、自分で漫才を書いたりするようになりました。別にどこかで披露するとかではなくて、楽しいから書いていただけです。

漫才を自分で書いてみると、ボケって全然思いつかないもんですね。普段、自分がいかにボケていないかを実感させられました。050にするボケと、50100にするツッコミでは、0から生み出す分ボケの方がめちゃくちゃ難しいんやな、と気づかされました。いまのところ3本書いたので、見たいという方は言ってください。送ります。というか、評価が聞きたいです。




最近、配属される研究室が決定したので、研究室のメンバーで自己紹介をしあうという件がありました。今流行りのzoomです。15人くらいの前で、自己紹介をしました。僕は今、自分の中で空前のお笑いブームが来ているので、ボケたくてしょうがなくなり、小ボケを挟むことにしました。


「生まれたところから時系列で説明させていただくんですけども、まず、19981026日に生まれまして、関西人なんでせっかちやったんか知らないですけど、出産予定日の2週間くらい前に生まれたんで、生まれたときの体重が1984gでした(ガチ)。めちゃくちゃ未熟児で生まれたわけなんですけど、この1984gっていうのがどれくらい小さいかって言うと、」


ボケます。


「女優の長澤まさみさんが生まれたときの体重が、4065gなんですよ。てことは、その約半分なんで、あのスラっとした長澤まさみさんの半分の体重で生まれてきたってことなんですよ」


ボケました。


水を打ったような沈黙が流れました。


驚きました。僕は、大スベりしたのです。


初対面の自己紹介、歓迎ムードの中、だいたい何を言ってもウケるシチュエーションのはずです。僕は研究室が怖くなってしまいました。そんなことある??


「まぁそんなことはどうでもいいんですけどね、」


スベったやつがスベったときに使う言葉を発してしまいます。


「話が長くなってしまいそうなんで、ちょっと端折って、大学に入学したところからいきます」


幼稚園、小学校、中学校、高校を全飛ばしする問いう、小ボケを挟みます。


何の反応もありません。この小ボケには、「めっちゃ飛んだなぁ」などの反応が不可欠ですから。またしてもスベったということになります。ただ単に飛ばしただけのやつになってしまいました。


何かがおかしい。たしかにボケとしてはめちゃくちゃしょうもない。けど、状況的にそこまでスベるということはないはず………



ここで僕はやっと気づきました。



僕以外のほとんどの人が、ミュートになっていたのです。


おい!!!!!!スベったかと思ったやんけ!!!!と心の中で叫びました。



でも、この話の恐ろしいところは、もしかしたらガチで大スベりしていたのかもしれないということです。ミュートされては、真実は闇の中です。

大スベりしたのかもしれませんし、してないのかもしれません。


こうして、研究室が怖くなってしまいました。


さらに困るのは、教授や他の人達に、「どんな研究に興味があるの?」と聞かれる機会が増えたことです。卒論のテーマを決めるにあたって、過去の論文などを読むのですが、大変申し訳ないことに、やっぱり航空宇宙分野に全体的にクソほども興味がわきません。「どんな研究にも微塵も興味がわかない」とは言えませんから、シンプルに嘘をつくハメになります。嘘偽りの自分としてやっていかなくてはならないと考えると、悲しくなります。



最近ツイートもしたのですが、オードリーの若林がラジオで「芸能界は向上心高い奴が多くて、しかも勝ってきた奴が集まってるから疲れる」と言っていました。

生意気って言われるかもしれないけど、東大における自分とすごく重なってしまいます。意識もやる気も低い今の自分にとって、周りがギラギラしていると疲れてしまいます。(別に誰が悪いとかではないんですけど、強いて言うならこういう環境に来た自分が悪い)


研究室までくると、将来のことについていろいろと考えざるを得ません。このまま微塵も興味のない分野の研究をして、それなりのところに就職するのか、と思うと暗い気持ちになってしまいます。



オードリーとかハライチとか、お笑い芸人のラジオを聴いていると、その1週間でこんなことがあった、みたいなことをすごく楽しそうにしゃべります。聴いているこっちも楽しくなってきます。そういうのを聴いていると、結構真剣にお笑い芸人になりたいな、と思うようになってしまいました。相方募集中です。

人生で1曲しか聴けなくなるとしたら

こんにちは。マジで暇です。ブログ書きます。

突然ですが、仲のいい友達からこんな質問をされたことがあります。
「今後1人のアーティストしか聴けなくなるとしたら、誰を選ぶ?」というものです。
この質問、めちゃくちゃ難しくないですか??

ぼくは基本的に全曲シャッフルして好きな曲がくるまで飛ばしまくる、という非効率的な方法で音楽を聴いています。この方法で聴く理由は、シャッフルで好きな曲が来たほうがちょっとテンションが上がるから、というしょうもない理由です。
1人で外にいるときは基本的にイヤホンをして音楽を聴いていますし、家にいるときもスピーカーで音楽をかけることが多いので、結構音楽を聴いている時間は長いと思います。
普段よく聴くアーティストは、このごろはユニゾンSHISHAMOミスチル、ヒゲダン、King Gnu、ミセスとかです。

ところがぼくは「嵐」と答えました。普段はたまに聴く程度なのですが、曲数が多くて飽きないかな、と思ったし、ドラマの主題歌とかも多いので、聴くとドラマのこととか思い出して楽しいかな、と思ったからです。物心ついたころからずっといるアーティストなので、今年限りで活動休止になってしまうのはほんとに悲しいです。

ではその質問の強化版「1曲しか聴けなくなるとしたら、どの曲を選ぶか」について考えてみることにしました。1曲しか聴けないので、ここでの選曲はかなり重要になります。最初のポケモン選ぶときのあの感じです。

まず、よく聴くユニゾンとかの曲とかにしようかな、と思ったのですが、1曲聴いてしまうと他の曲も聴きたくなってくるような気がしたのでやめました。
逆に元気出そうやしWANIMAとかにしてみるか、とも思ったのですが、ずっと聴いてたら頭おかしくなりそうな気がしたのでやめました。
あれこれと考えて、最適解にたどりつきました。

ミスチルの「HANABI」です。コレならずっと聴ける!!! おれの人生はこの名曲に捧げることに決めた!!!

余りにも暇だったので、実際にやってみることにしました。「HANABIしか聴けなくなったら」を実践してみよう、というわけです。
今日から1週間、HANABIしか聴かないことにしました!!!! こっからは日記風にいきます。

〜1日目〜
12時に起床し、早速スピーカーでHANABIをかけ始めます。1回目、素晴らしい曲ですね、コレ。最初の5分43秒を終えて、2回目。まだまだ名曲。すごい。コレ行ける! しばらく流し続けていると、ここで事件が。
ヒルナンデスを見ながら聴いていたのですが、「20代30代が選ぶ卒業ソングランキング」という企画が始まったのです。おい!おれはHANABIしか聴かへんねん!!藤田ニコル EXILEの道歌うな!! 早速企画倒れしてしまいました。

一旦HANABIをかけるのをやめて、録画しておいたテセウスの舟っていうドラマを見始めました。
すると、榮倉奈々がすごいいい演技をしてるシーンで、「どんな言葉で あなたに伝えられるだろう♪」とUruが歌い始めてしまいました。あぁぁぁぁ!!! 「もしも明日 世界が終わっても 会えない日々が続いたとしても  僕はずっとあなたを想うよ」 いやいい歌!!いい歌詞!! 
ドラマの感動的なシーンとめちゃくちゃマッチしていて、思わず涙がこぼれそうになります。
いや、待ってくれ!!!HANABIしか聴かへんねん!!!やめてくれ!!!

切り替えて、スピーカーでHANABIをかけながら、PS4プロ野球スピリッツをします。いや、やっぱいい曲やな。ゲームにもいい感じに集中できるし。

ゲームにも飽きて、することもないのでテレビをボーっと眺めることにしました。
すると、テレビから「I love…… なんて 言いかけてはやめて♪」と流れてきました。おいやめろやヒゲダン。もう完全に企画倒れしてしまいました。

お風呂に入る時も、スピーカーで音楽を聴きながら入ります。意地を張ってここでもHANABIをかけ続けます。

これ、何の意味があるんでしょう?? HANABI以外の曲も聴きてぇ〜〜〜 Apple Musicにも課金してるし、聴かんともったいないぞ…… こんなん1週間とか絶対無理や…

それでも桜井さんは歌い続けます。
桜井和寿「もう1回、もう1回〜♪」
桜井和寿「もう1回、もう1かーーーーーーーーーーい
おれ「いや、もうええわ!!!!」

ということで、辞めます。桜井さんは何も悪くないです。
絶対いろんな曲聴いたほうが人生豊かになります。
明日からも暇や〜〜〜〜何しよ〜〜〜〜〜



言いたいことを言う

コロナウイルスが猛威を振るっているせいで、旅行などの予定がほとんどなくなってしまい、無の春休みを送っています。

今日も昼に起床、飯を食ってドラマ観てゲームして飯食ってテレビ観て荒野行動をして今に至っています。完全なニートとなってしまった僕ですが、今回のブログでは、「言いたいことを言う」ということについて書きたいと思います。


タイトルの割には、中身はクソしょうもないと思います。時間を有効活用したい方は、読まないでください。暇で他にマジで何もすることがない人だけ、読んでください。


「言いたいことを言う」っていうのがいかに気持ちのいいことか、気づいたのは先日タイに行ったときのことです。


タイに行って、何が楽しかったかと言われたら、ゾウに乗ったり色んな寺院を見たりもしましたが、「言いたい放題言えた」ことです。

どういうことかと言うと、タイでは日本語は通じないことを逆手に取って、何も気にせずに発言することができたのです。


たとえば、カオ・マンガイというタイ料理を食べる店に行った際、まず店内がとんでもなく臭くて、また暑かったのですが、ここで「くっさ!!!あっつ!!!」とでかい声で言えました。日本では店の人に気を使って絶対言えませんよね。めちゃくちゃ汚い店でしたが、料理はおいしくて安かったので、「激臭暑汚美味安店(げきくさあつきたなうまやすみせ)やな、ココ」と言い残して店を出ました。これもクソ失礼なので日本では絶対言えません。


他のタイ料理屋に行った際にも、トムヤムクンを食べたのですが、中に入っていた木の皮みたいな具(?)を食べると、とんでもない味がしました。絶対に食べてはいけないものの味がしたのです。味がしたというよりも、もはや舌が痺れました。ここで「まっず!!!!毒やろコレ!!」と何の躊躇もなく言いました。(後で調べたらほんとに食べるもんではなかったらしい) こういうのも日本では我慢して黙って食べざるをえなかったに違いありません。


ショッピングモールのエレベーターに、小泉純一郎似のヤバそうなタイ人が乗ってきたときも、「小泉純一郎やんけ!コイツ絶対ヤバいやつやん、絡まれたら終わる……」と言うことができたのです。これも、このタイ人が日本語わかってたらクソヤバいことになっていましたが、幸い大丈夫でした。


トゥクトゥクっていう三輪車強化版みたいな乗り物の運転手がめちゃくちゃぼったくろうとしてきたときも「クソが!!!」と普通に言うことができました。(普通にぼったくられかけたけど)


こういうのを言うときに唯一気をつけようとしたことは、なるべくいいことを言ってそうな顔をすることです。ちょっとした微笑みをたたえながら言うことによって、まさかそんなひどいことを言っているとは思わせない、ということです。

「くっさ!!!あっつ!!!」と言ったのもタイ人から見れば「うまそう!早く食べたい!」などと言っているように見えていたでしょうし、トゥクトゥクの運転手に「クソが!!!」と言っている時も運転手から見れば「また今度!」って言っているように見えていたに違いありません。


でも逆に考えると、タイ人にとっても同じなのです。我々日本人には、タイ語で何を言われても分からないのです。考えてみると、タイ語で話しかけられて、「は?」みたいな顔をしていると、何も面白いことは無いのに笑われるようなシーンもたくさんありました。


タイ語で「お前めちゃくちゃアホやんけ」とか言ってバカにして笑っていた可能性もあります。でも、そんなことはどうでもいいです。我々日本人にはタイ語で何を言われようとわからないのですから。しかも、「何わろてんねん」と普通に反撃することさえできるのです。


こういうコミュニケーションの形、めちゃくちゃよくないですか?? お互いに言いたいことを言い合いながらも傷付けることもなく、最低限の情報交換だけで会話を続けていくのです。

「何言うてんねんコイツ」とかボソボソ言いながら会話できるのって、めちゃくちゃ楽しいです。(タイ人ごめんな) 


やっぱこういうのが楽しいと感じるのは、自分の性格が悪いのもあるかもしれないですが、普通に生活するにあたって言うのを我慢していることが多すぎるからだと思います。


父親に部屋を掃除しろと言われたときには、「ほっとけや、それより口臭いねん、自分の口内を先掃除せえや」って言うのを我慢していますし、教授に試問でボロカスに言われているときも、「うるさいわ、ポットみたいな顔面しやがって!クソボケが!!」と言うのを我慢しています。


その我慢の分だけ、言いたいことを言えるっていう状況が楽しく感じるのです。これを機にタイに移住しようかと思いましたが、街中がう〇こ臭いし食べ物もあんまり合わないので辞めておきます。結局は日本が1番住みやすいです。言いたいことを我慢しながら生きていこうと思います。

寝ます。

納豆を人類で初めて食ったヤツ

今日、伊豆大島に遊びに行こうと思っていたのですが台風15号「ファクサイ」のせいで船が欠航になって島に取り残されそうだったので急遽キャンセルしました。なんやねん、ファクサイって。オカンのくしゃみみたいな名前しやがって。ファクサイのせいであまりにも暇になったので、書こうと思います。

今回は、「納豆を人類で初めて食ったヤツ」について書こうと思います。


ぼくは、小さい頃から納豆が好きです。幼少期から、よく実家の食卓にも並んでいました。皆さんもよく口にする、あるいは食べはしなくてもスーパーなどで陳列されている光景を見ることでしょう。そして、そのことに何の疑問も抱かないと思います。それは、納豆は「食べられるもの」であるということが知られているからです。

一旦この状況をリセットして考えてみてください。すなわち、納豆が「食べられるもの」である、ということを忘れてみてください。そうすると、納豆ってガチで気持ち悪くないですか??なんなんですかあのネバネバは。まず、くっっさ。なにこの臭い。キモッッ。近寄らんといて??

もう一度言いますが、ぼくは納豆が好きです。でもそれは、食べられるものであるということを知っているからではないでしょうか。ただの得体の知れない物体として見ると、上のような感情を抱かざるを得ないと思います。

「食べられるもの」である、ということを知るだけでこんなにもイメージが一変するのです。この一発逆転の瞬間のことが気になってくるのは当然のことでしょう。そこで、ぼくは「納豆を人類で初めて食ったヤツ」に思いを馳せるのです。

コイツ、ガチで勇者です。コイツがいたおかげで今日にいたるまでの人類は納豆を食品として楽しむことができたのです。神と呼んでも差し支えはないでしょう。


納豆の発祥に関して調べてみると、諸説あるみたいです。この中で、最も有名なのが、平安時代源義家によって広められたとする説です。

源義家が、奥州遠征に行く際に、農民たちから兵糧として大豆を集めました。この大豆を煮ている最中に敵襲にあったのです。そこで、この大豆を藁に入れて馬の鞍にくくりつけて応戦しました。そして戦のあと、しばらくして大豆のことを思い出して、藁を開けると、納豆が出来ていた、というものです。

へ〜って感じですよね。でも忘れてはいけません。この時、「納豆を人類で初めて食ったヤツ」が生まれたのです。 このときのことを、平安時代に、タイムスリップしたような気持ちで書こうと思います。


まず、藁を開けた源義家が、「うわ、なんかネバネバなってんねんけど〜〜ww ヤバ、捨てよ」と言います。ここで捨ててしまっていたら、納豆の未来は早々に絶たれてしまうことになってしまいます。

そこで救世主、櫻井翔(仮名)くんが現れます。「弾けりゃYeah!素直にGood!だからちょいと重いのはBoo!That's alright!それでも時代を極めるそうさ僕らはSuper Boy!We are Cool!やなことあってもどっかでかっこつける ネバネバだけどいいでしょ?食うだけ食ってもいいでしょ?」

前半は何を言っているのかよくわかりませんが、櫻井翔くん、何とこのネバネバの大豆を食べることを提案してきたのです。しかもラップ調で。

そこで源義家、「じゃあ櫻井翔、お前が食ってみてや」と言います。ここは元慶応ボーイで今や国民的スターとなっている櫻井翔くん、丁重に拒否します。困ってしまった源義家は偶然そばを通りかかった、出川哲朗(仮名)に声をかけます。出川くんはバラエティ番組などで数々のゲテモノを食べてきました。出川くんは、「ヤバいよヤバいよ…」とか言いながらもちょっと食べてみたそうな感じです。櫻井翔くんも、「Step by Step ぶっ飛ぶよりも裸のままつっこめ Day by Day 退屈よりもAh 刺激が欲しいから おおきな翼広げよう You are my SOUL SOUL いつもすぐそばにある 譲れないよ誰も邪魔できない 体中に風を集めて 巻き起こせ A・RA・SHI  A・RA・SHI for dream」と、出川くんを応援します。皆の注目が出川くんに集まります。出川くんが1口、このネバネバした大豆を食べてみました。

正直、周りの皆は「きっと腐っているに違いない。」とか、「こんなに気味の悪い見た目のものまずいに決まっている」とか思っていました。誰もが出川くんのことをかわいそうだと思い見ていました。

出川くんの口から出てきた一言は、皆を驚かせました。「美味い!!!!」 満天青空レストラン宮川大輔かと思うような声が響き渡ったのです。ここまでくると、もはや出川哲朗なのか宮川大輔なのかも混乱するレベルです。どっちもイッテQメンバーなので余計に訳が分からなくなります。

こうして、出川くんのおかげで納豆は食品としての地位を確立するに至ったのです。


ここで、「納豆を人類で初めて食ったヤツ」は出川くんなわけで、彼は当然讃えられて然るべきですが、櫻井翔くんだって影の功労者なわけです。

彼が、「弾けりゃYeah!素直にGood!だからちょいと重いのはBoo!That's alright!それでも時代を極めるそうさ僕らはSuper Boy!We are Cool!やなことあってもどっかでかっこつける ネバネバだけどいいでしょ?食うだけ食ってもいいでしょ?」と、食べることをラップ調かどうかは別として提案したことで、納豆は日の目を見ることができたのです。

出川くんも櫻井翔くんも、この功績が認められ、平安京の方から褒美が与えられたでしょう。

このことで味を占めた2人は、このことを納豆以外のものにも応用すればいいのでは、と考えました。すなわち、今まで食べた事のないようなものを食べてみて、食べれた場合そのことを広めればまた褒美が貰えるのではないか、と考えたのです。

「弾けりゃYeah!素直にGood!だからちょいと重いのはBoo!That's alright!それでも時代を極めるそうさ僕らはSuper Boy!We are Cool!やなことあってもどっかでかっこつける。見た目豚のエサだけどいいでしょ?食うだけ食ってもいいでしょ?」と言って、二郎系ラーメンが食べられるものであることを実証しました。

「弾けりゃYeah!素直にGood!だからちょいと重いのはBoo!That's alright!それでも時代を極めるそうさ僕らはSuper Boy!We are Cool!やなことあってもどっかでかっこつける カエルの卵みたいだけどいいでしょ?食うだけ食ってもいいでしょ?」と言って、タピオカが食べられることも実証しました。

「弾けりゃYeah!素直にGood!だからちょいと重いのはBoo!That's alright!それでも時代を極めるそうさ僕らはSuper Boy!We are Cool!やなことあってもどっかでかっこつける 毒があるけどいいでしょ?食うだけ食ってもいいでしょ?」と言って、毒キノコが食べられないものであることを実証して、出川くんだけが他界しました。











っていう嘘です。ネットの情報を鵜呑みにしてはいけません。信じかけた方は、ネットリテラシーの大切さについてもう一度考え直した方が良いと思います。なんやこのクソみたいな文章は。もう寝ます。